「武蔵の小京都」の異名を持つ、埼玉県比企郡嵐山町。豊かな自然に恵まれたこの町は、歴史と文化、そして現代の暮らしが調和する魅力的な場所です。この記事では、嵐山町の魅力を、地理、歴史、観光、文化、経済など様々な角度からご紹介します。
概要
嵐山町は、埼玉県の中部に位置し、人口は約1万8千人。豊かな自然に恵まれ、都心からアクセスしやすいことから、近年移住希望者も増加しています。町の中央部と北部には東松山台地が広がり、北東部は比企北丘陵の西端、南部は岩殿丘陵の北端に位置しています。また、西部は外秩父山地の外縁となっており、南北に八王子構造線が貫いています。
地理
位置と地形
嵐山町は、埼玉県の中部に位置し、比企郡に属する町です。東松山市、深谷市、熊谷市、比企郡滑川町、小川町、ときがわ町、鳩山町、大里郡寄居町と隣接しています。町の中央部と北部には東松山台地が広がり、北東部は比企北丘陵の西端、南部は岩殿丘陵の北端に位置しています。西部は外秩父山地の外縁となっており、南北に八王子構造線が貫いています。
山岳、丘陵、河川
主な峠として、笛吹峠があります。また、岩殿丘陵と比企丘陵が町の地形を特徴づけています。主な河川は都幾川と嵐山渓谷です。都幾川は町の南部を流れ、嵐山渓谷は町の西部に位置し、美しい渓谷美を形成しています。
人口
嵐山町の人口は、2024年8月1日現在、約1万7千人です。近年は、人口減少傾向が見られます。隣町の滑川町は、東武東上線の新駅設置など、比較的大規模な開発を行っており、人口増加傾向にあるため、両町間では人口の奪い合いが懸念されています。
歴史
中世から近世
平安時代末期の武将源義賢や畠山重忠ゆかりの地として知られています。江戸時代には、江戸と上州を結ぶ川越児玉往還(川越道)の菅谷宿として栄えました。
近代から現代
明治時代には、1889年(明治22年)4月1日に町村制施行に伴い、比企郡菅谷村が成立しました。昭和時代には、1955年(昭和30年)4月15日に比企郡七郷村と合併し、改めて菅谷村が発足しました。その後、1967年(昭和42年)4月15日に嵐山村と改称し、同日に町制施行されて嵐山町となりました。
自治体の変遷
平成時代には、2003年に比企地区8市町村合併協議会が設置されましたが、最終的に合併は実現しませんでした。その後、2003年7月には、比企郡滑川町、嵐山町、小川町、都幾川村、玉川村、秩父郡東秩父村の6町村が合併研究会を設置し、2003年12月には比企地域3町3村合併協議会が設置されました。しかし、2004年7月には、滑川町が住民投票の結果、東松山市・吉見町を含む8市町村での合併を支持したため、比企地域3町3村合併協議会から離脱しました。その後、2004年8月には、比企地域3町3村合併協議会が解散しました。
政治
行政
嵐山町は、町長と町議会議員によって運営されています。町長は、佐久間孝光氏(2020年9月9日就任)。町議会は、定数14名です。
広域行政
嵐山町は、東松山市、滑川町、小川町、ときがわ町、川島町、吉見町、東秩父村とともに、比企広域市町村圏組合を構成しています。障害程度区分審査会、介護認定審査会、東松山斎場、比企広域消防本部の運営事務を行っています。また、小川町、滑川町、ときがわ町、東秩父村とともに、小川地区衛生組合を構成し、ごみ処理(収集運搬を除く)とし尿処理を行っています。
出先機関・施設
国家機関
嵐山町には、国立女性教育会館が所在しています。
県政機関
嵐山町には、埼玉県立嵐山史跡の博物館(旧埼玉県立歴史資料館)が所在しています。
その他の施設
嵐山町には、警察署、消防署、郵便局、図書館、交流施設、娯楽施設、運動施設など、様々な公共施設が整備されています。
対外関係
姉妹都市・提携都市
嵐山町は、国内の他の自治体との姉妹都市提携はしていません。
その他
嵐山町は、「武蔵の小京都」として、全国京都会議に加盟しています。京都嵐山の風景に似ていたことから、本多静六により命名されたと言われています。
経済
第一次産業
嵐山町は、農業が盛んです。特に、米、野菜、果物などの生産が盛んです。
第二次産業
嵐山町には、嵐山花見台工業団地があり、凸版印刷、松屋フーズなどの工場が立地しています。また、明星食品埼玉工場(同社の子会社の東日本明星が運営する工場)も立地しています。
第三次産業
嵐山町の中心部は、国道254号線嵐山バイパス沿い、武蔵嵐山駅北側の県道69号線沿い、そして両者を繋ぐ市道沿いに集中しています。北部または南部には、ほとんど商業施設はありません。主な商業施設には、ヤオコー嵐山バイパス店、マツモトキヨシ、ダイソー、マックハウス、シュープラザ、パシオス嵐山店、カインズ嵐山店、ベイシアフードセンター嵐山店、ケンタッキーフライドチキンカインズホーム嵐山店、ベイシア電器嵐山店、ドラッグストアコスモスなどがあります。
情報・生活
ライフライン
嵐山町には、電信、ガス、水道などのライフラインが整備されています。
教育
嵐山町には、高等学校、中学校、小学校が設置されています。
交通
鉄道
嵐山町の中心駅は、東武東上線の武蔵嵐山駅です。
バス
嵐山町には、ときがわ町路線バス(イーグルバス)、国際十王交通の路線バス、嵐山町コミュニティバス(廃止)が運行しています。
道路
嵐山町には、関越自動車道、国道254号、県道11号、県道69号、県道172号、県道173号、県道251号、県道296号などの道路が整備されています。
観光
名所・旧跡
嵐山町には、菅谷館跡、杉山城、大蔵館跡、鎌形八幡宮、鬼鎮神社、遠山寺、広正寺、月輪古墳群、古里古墳群、稲荷塚古墳、川越街道(菅谷宿)など、歴史的な名所・旧跡が多く存在します。
観光スポット
嵐山町には、武蔵嵐山・嵐山渓谷、おもちゃ図書館などの観光スポットがあります。
文化・名物
祭事・催事
嵐山町では、毎年、様々な祭事・催事が開催されます。
名産・特産
嵐山町の名産・特産品には、嵐山辛モツ焼そばなどがあります。
出身関連著名人
嵐山町出身の著名人には、小池純輝(サッカー選手)、大橋正芳(躰道選手)、米山裕太(バレーボール選手)、米山達也(バレーボール選手)、荻野目慶子(タレント)、荻野目洋子(歌手)、大田ななみ(女優)、杉田智和(声優)、かぜ耕士(放送作家)など、様々な分野で活躍する人々がいます。
作品
漫画
嵐山町を舞台にした漫画作品には、「こちら埼玉山の上大学ボクシング部」などがあります。
ドラマ
嵐山町を舞台にしたドラマ作品には、「恋空」、「相棒」、「らんざん慕情」などがあります。
最後に
自然豊かで歴史と文化が息づく嵐山町は、都会の喧騒を離れてゆったりと過ごしたい人におすすめです。ぜひ一度訪れて、その魅力を体感してみてください。
嵐山町についてのクイズ
嵐山町の異名は何ですか?
嵐山町は「武蔵の小京都」という異名を持っています。この名称は、町の風景や環境が京都の嵐山に似ていることに由来しています。嵐山町は埼玉県比企郡に位置し、自然環境が豊かで、歴史的な名所も多く存在します。特に民家や神社仏閣が散在し、豊かな伝統文化が息づいているため、訪れる人々は京都の雰囲気を感じることができます。嵐山町の魅力は自然と歴史、文化が一体化して体験できる点にあります。将来的には、観光客を惹きつけるために、地元の文化や歴史をさらに発信していくことが期待されています。
嵐山町の主な河川は何ですか?
嵐山町を流れる主な河川は都幾川と嵐山渓谷です。都幾川は南部を流れる主要な川で、その美しい清流は地域の自然環境を支えています。また、嵐山渓谷は西部に位置し、特に渓谷美が際立つスポットとして知られています。観光客は四季折々の変化する景色を楽しめるため、特に秋の紅葉の季節には、多くの訪問者が集まります。これらの水系は地域の生態系や農業にも重要な役割を果たしており、嵐山町の豊かな自然環境を象徴しています。
嵐山町の中心的な鉄道駅はどれですか?
嵐山町の中心的な鉄道駅は東武東上線の武蔵嵐山駅です。この駅は町の中心部に位置し、周辺地域とのアクセスを容易にする重要な交通ハブです。武蔵嵐山駅は、都心へのアクセスが良好で、日々多くの住民や観光客に利用されています。駅周辺には商業施設や公共施設も充実しており、生活に便利な環境が整っています。鉄道の運行は、町の経済活動や観光にも影響を与えており、住民には欠かせない交通手段となっています。
嵐山町で盛んに行われている第一次産業は何ですか?
嵐山町では農業が盛んに行われています。特に米、野菜、果物の生産が地域の経済において重要な役割を果たしています。豊かな自然環境と良好な土壌が農業に適した条件を提供しているため、地元の農家は様々な農産物を育てており、特に新鮮で高品質な食材が特徴です。農業はまた、地域の伝統と文化とも深く結びついており、地産地消が推進されています。近年では、地域ブランドの展開や観光農業も進められ、地元の経済を支える一因となっています。
嵐山町に所在する国立機関は何ですか?
嵐山町には国立女性教育会館が所在しています。これは女性の教育や人材育成を目的とした施設で、各種の研修やイベントが開催されています。国立女性教育会館は、女性のキャリア支援やリーダーシップ育成に力を入れているため、全国各地から参加者が集まる重要な教育機関です。この施設は、地域における女性の教育機会を広げる役割を果たしており、また地域の活性化にも寄与しています。国立機関としての役割を持つこの施設は、嵐山町の文化的な側面を示すものでもあります。