益子焼で有名な街! 栃木県芳賀郡益子町の魅力を探る

栃木県南東部、芳賀郡に位置する益子町は、豊かな自然と伝統的な陶芸文化が調和する魅力的な町です。江戸時代末期から陶器の産地として栄え、昭和期の濱田庄司氏の活動によって「益子焼」の名を全国に知らしめました。今回は、益子町の歴史、文化、観光スポット、そして魅力的な益子焼について詳しくご紹介します。

益子町の概要

益子町は、人口約2万人、面積89.40km²の町です。町のシンボルは、1977年に制定された町の花「ヤマユリ」、町の木「アカマツ」、町の鳥「ウグイス」です。

項目 内容
位置 栃木県芳賀郡
面積 89.40 km²
人口 20,712人(推計人口、2024年8月1日)
人口密度 232人/km²
隣接自治体 真岡市、芳賀郡市貝町、茂木町、茨城県桜川市
町の木 アカマツ
町の花 ヤマユリ
町の鳥 ウグイス

益子町の歴史

益子町の歴史は古く、737年(天平9年)に創建されたとされる西明寺の存在が物語っています。平安時代には宇都宮氏の郎党である益子氏が勢力を持ち、鎌倉時代から南北朝時代にかけては、宇都宮氏の郎党として活躍しました。

江戸時代には、那須黒羽藩大関氏に飛び領として加領され、「下之庄」として陣屋が置かれました。1889年の町村制施行により、益子村、七井村、田野村が成立し、1894年には益子村が益子町となりました。1954年には、益子町、七井村、田野村が合併し、現在の益子町が誕生しました。

益子焼の起源と発展

益子焼は、1852年(嘉永5年)に大塚啓三郎によって始められたのが起源とされています。笠間の久野窯で修行した大塚啓三郎は、益子の土を用いて瀬戸物を焼こうと試み、藩主大関増昭から益子陣屋の裏山のふもとに土地を与えられました。

当初は主に台所用の雑器が作られ、鬼怒川の水運を利用して江戸で販売されていました。藩は財政再建のため、益子焼を奨励し、生産量は着実に増加していきました。

1894年には益子陶器協同組合が結成され、益子焼はさらに発展していきます。大正時代には、民芸運動の陶芸家である濱田庄司氏が益子に移住し、益子の土を生かした独特な作品を作り出しました。濱田氏は後に国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。

現在、益子町は「益子焼の産地」として、芸術作品から民芸品、そして日用品まで、様々な陶器を制作販売しています。

益子町の文化

益子町には、伝統的な陶芸文化以外にも、豊かな文化が息づいています。

益子焼の魅力

益子焼は、土の温かみが感じられる素朴な美しさと、使い心地の良さで人気があります。

  • 特徴:

    • 独特の土の色合い
    • 丈夫で使い心地が良い
    • シンプルなデザイン
    • 現代的なデザインを取り入れた作品も多い
  • 種類:

    • 茶碗
    • 湯呑み
    • 急須
    • 花瓶
    • 焼き物
    • 彫刻

益子陶器市

益子町では、春と秋の年2回、「益子陶器市」が開催されます。全国から陶芸ファンが集まる一大イベントで、個性豊かな陶器が数多く出店されます。

  • 開催時期:

    • 春:4月下旬~5月上旬
    • 秋:10月下旬~11月上旬
  • 見どころ:

    • 陶芸家による作品展示販売
    • 窯元での体験教室
    • 陶器市限定の特別作品

西明寺

西明寺は、737年(天平9年)に創建されたとされる益子町を代表する寺院です。

  • 見どころ:
    • 国の重要文化財に指定されている楼門、三重塔、本堂内厨子
    • 関東三大仏塔の一つとされる三重塔
    • 珍しい「笑い閻魔」像

祇園祭

益子町では、毎年7月23日から25日の3日間、八坂神社の祭礼として「益子祇園祭」が開催されます。

  • 見どころ:
    • 町内を練り歩く山車
    • 手筒花火
    • 江戸時代から伝わる「御神酒頂戴式」

益子町へのアクセス

益子町へのアクセスは、車、電車、バスなど、様々な方法があります。

  • 車:

    • 北関東自動車道「真岡IC」から約10分
    • 常磐自動車道「桜川IC」から約20分
  • 電車:

    • 真岡鐵道真岡線「益子駅」下車
  • バス:

    • 関東自動車、茨城交通の路線バスが運行

まとめ

栃木県芳賀郡益子町は、伝統的な陶芸文化と豊かな自然に恵まれた魅力的な町です。益子焼の魅力に触れるだけでなく、歴史を感じられる寺院や、活気のあるイベントを楽しむことができます。ぜひ、益子町を訪れて、その魅力を体感してみてください。

益子町についてのクイズ

益子町のシンボルとなっている町の花は何ですか?

益子町のシンボルである町の花は「ヤマユリ」です。1977年に制定されて以来、町を象徴する存在となっています。ヤマユリは日本の高山や湿地帯にも自生する美しい花で、白い大きな花が特徴的です。益子町は豊かな自然環境に恵まれており、ヤマユリの花が咲く季節には、その美しい景観を楽しむことができます。その他のシンボルとして、町の木に「アカマツ」、町の鳥に「ウグイス」があります。アカマツは、堅牢な木材として知られ、地域の景観にも寄与しています。一方、ウグイスはその美しい声で知られ、春の到来を告げる代表的な鳥です。これらのシンボルは、益子町が持つ歴史や文化、自然との共生を反映しています。

益子町の歴史において、江戸時代に益子町が加領された藩はどこですか?

益子町は江戸時代には那須黒羽藩大関氏の飛び領として加領され、地域の発展に寄与しました。この時期に益子町が陣屋が置かれ、経済活動が活発化しました。その後、1889年の町村制施行により益子村、七井村、田野村が成立し、1894年には益子村が益子町となりました。益子町の陶芸文化も此の時代に始まり、大塚啓三郎が益子の土を用いて瀬戸物を焼こうとしたのが由来となります。これにより、益子町は陶芸の街として知られるようになり、現在に至るまでその伝統が受け継がれています。益子焼は江戸時代から続く地域の特徴的な産業であり、現在でも多くの陶芸家が活動を行っています。

益子陶器市は年に何回開催されるでしょうか?

益子陶器市は年に2回、春と秋に開催されます。春の陶器市は通常4月下旬から5月上旬の期間に行われ、秋は10月下旬から11月上旬がその時期です。このイベントは全国から陶芸ファンが集まる一大イベントであり、様々な作家や窯元が独自の陶器を出品します。陶器市では、陶芸家による作品展示や販売が行われるだけでなく、窯元での体験教室も実施され、来場者は自らの手で陶器作りを楽しむことができます。また、陶器市限定の特別作品も販売され、多くの人々が訪れる魅力的なイベントとなっています。このように、益子陶器市は地域の活性化と文化の保存に寄与しています。

益子町にある西明寺は何年に創建されたとされていますか?

西明寺は、737年(天平9年)に創建されたとされる益子町を代表する寺院です。西明寺はその歴史の長さから、益子町内でも重要な文化財として位置付けられています。特に国の重要文化財に指定されている楼門や三重塔、本堂内厨子などは、西明寺の歴史的意義を示しています。また、三重塔は関東三大仏塔の一つとされており、その美しい構造は多くの人々を惹きつけています。西明寺内には珍しい「笑い閻魔」像もあり、訪れる人々にとって興味深いスポットとなっています。このように、長い歴史を持つ西明寺は、益子町における文化的、歴史的な価値を象徴する重要な存在なのです。