鹿児島県姶良市:薩摩の歴史と自然が織りなす魅力的なまち

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鹿児島県の中央部に位置する姶良市は、人口約7万7千人の活気あふれるまちです。鹿児島湾(錦江湾)に面し、鹿児島市のベッドタウンとして発展してきました。歴史好きにはたまらない薩摩藩ゆかりの史跡や、自然豊かな山々、雄大な海岸線など、魅力的な観光スポットが満載です。この記事では、姶良市の歴史、地理、文化、観光、産業など、さまざまな側面を紹介します。

歴史

姶良市は、長い歴史と文化を誇るまちです。その歴史は、古代の隼人族の支配から始まり、鎌倉時代には平山氏、蒲生氏、加治木氏といった豪族が割拠していました。戦国時代には、島津氏が勢力を拡大し、1598年には豊臣秀吉の九州征伐により島津氏は豊臣氏に従うことになりました。その後、1600年の関ケ原の戦い後、薩摩藩によって統治されるようになりました。

古代から中世

  • 713年(和銅6年)に日向国の一部を割いて大隅国が設置され、朝廷による支配が始まりました。
  • 800年(延暦19年)には、開墾を奨励するために班田収授法が施行されました。
  • 平安時代には、大隅国の国府があった国分付近と薩摩国の国府があった川内付近を結ぶ経路上の拠点として、蒲生駅が置かれていました。
  • 1120年(保安元年)に宇佐八幡宮の留守職であった藤原教清が蒲生院に入り、宇佐八幡宮を勧請して蒲生八幡神社を創建しました。
  • 1135年(保延元年)には、「加治木郷」の名前が文献に初めて登場しました。
  • 1276年(建治2年)の「大隅国在庁石築地役配符」という文書に、現在の姶良市のあたりは蒲生院・帖佐郷・加治木郷に分かれていたことが記録されています。
  • 1282年(弘安5年)に山城国石清水八幡宮から平山了清が下ってきて、大隅正八幡宮領の帖佐郷を治めることになりました。了清は、松原地区に上陸し、その後別府川を遡って船津で船を係留し、翌朝東側の三拾町に上陸したという故事があります。
  • 南北朝時代には、各豪族の間で争いが繰り返されました。
  • 1411年(応永18年)には、島津氏と伊集院氏の争いに蒲生氏は島津氏に従い、平山氏と加治木氏は伊集院氏を支持しました。
  • 1458年(長禄2年)には、島津季久が平山氏に代わって帖佐郷を支配するようになり、瓜生野城を築きました。
  • 1495年(明応4年)には、島津忠昌が加治木久平を平定し、加治木氏は阿多に移されて加治木氏の加治木支配が終焉しました。

近世

  • 江戸時代には、薩摩藩によって統治され、加治木、重富、帖佐、山田、蒲生の外城が置かれました。
  • 1600年(慶長5年)の関ケ原の戦いで島津義弘は敵中突破の退却を行い、帖佐郷に引き上げてきました。
  • 1619年(元和5年)7月21日に島津義弘は加治木館で亡くなりました。
  • 1625年(寛永2年)7月15日、島津家久の第3子、島津忠朗が加治木に入り、加治木島津家の初代となりました。
  • 1645年(正保2年)には、宮之城領主で薩摩藩の家老を兼任していた島津久通が殖産興業政策を進め、蒲生地区で蒲生杉と蒲生和紙の生産を進めさせました。
  • 1739年(元文4年)には、帖佐郷より分割して重富郷が成立しました。
  • 1752年(宝暦2年)には、水口ゆきえが中津野用水路を完成させましたが、その知恵を恐れて暗殺されました。
  • 1775年(安永4年)には、加治木島津家第6代の島津久徴が長崎から学者の伊藤世粛を招聘し、加治木に郷黌毓英館を設立しました。

近代

  • 1869年(明治2年)6月に軍制が敷かれ、各村に常備隊が置かれました。
  • 1870年(明治3年)には加治木に郡治所が置かれ、姶羅・桑原・西囎唹の三郡を統括することになりました。
  • 1871年(明治4年)7月14日、廃藩置県が行われ、加治木・帖佐・山田・重富・蒲生の5郷は一旦鹿児島県に属しましたが、11月14日に都城県となりました。
  • 1873年(明治6年)には、鹿児島県内6箇所に支庁が配置され、加治木は第一支庁となりました。
  • 1877年(明治10年)には、西南戦争により鹿児島県庁が焼失したため、一時的に加治木に県庁が置かれました。
  • 1878年(明治11年)7月22日、大小区制が廃止されて郡・町村制に戻されました。
  • 1889年(明治22年)4月1日には町村制施行により、現在の市域に姶良郡加治木村・帖佐村・重富村・山田村・蒲生村が発足しました。
  • 1901年(明治34年)には、加治木村・帖佐村・重富村を通って鉄道が開通し、加治木駅と重富駅が設置されました。
  • 1912年(明治45年)6月1日加治木村が鹿児島県内で最初の町制を施行して加治木町となりました。
  • 1926年(大正15年)には、帖佐駅が開設されました。
  • 1928年(昭和3年)11月1日に蒲生村が町制を施行して蒲生町となりました。
  • 1942年(昭和17年)4月1日帖佐村が町制を施行して帖佐町となりました。

第二次世界大戦後

  • 1945年(昭和20年)4月26日と8月11日の2度にわたり、加治木町が空襲で大きな被害を受けました。
  • 1955年(昭和30年)1月1日、帖佐町・重富村・山田村が合併し、姶良町が成立しました。
  • 1973年(昭和48年)12月13日に九州自動車道が開通しました。
  • 1984年(昭和59年)5月19日には第35回全国植樹祭が開かれ昭和天皇を迎えてお手まき行事が行われ、その敷地は県民の森という公園施設になりました。
  • 1986年(昭和61年)に錦江駅が、1988年(昭和63年)姶良駅が相次いで開業し、また1988年には大規模ショッピングセンターのサンシティ・リブレも開業しました。
  • 1993年(平成5年)には鹿児島県内全体が平成5年8月豪雨に見舞われ、国道10号や九州自動車道がしばらく不通になるなどの大きな被害を受けました。

平成の大合併

  • 2003年4月に、加治木町・姶良町・蒲生町の3町による合併協議会が設置されましたが、住民投票の不成立などにより2005年に一度解散しました。
  • 2007年になり再度合併協議が始まり、新市名を姶良市とすることや新庁舎を現行の姶良町役場に置くことなどでは合意が成立しましたが、市議会の定員の問題などで合意ができず、2008年10月に再度決裂しました。
  • 2009年に3度目となる協議でようやく合意に達し、2010年3月に3町が合併し新市名が姶良市とすることが内定しました。
  • 2010年4月25日、姶良市が正式に誕生しました。

地理

姶良市は、鹿児島県のほぼ中央に位置し、鹿児島湾(錦江湾)の奥側に広がる、南北約25km、東西約24kmの市です。市域の約65%を山林が占め、残りは平野部と台地となっています。

  • 姶良平野:市の中心部を占める平野で、鹿児島湾に注ぐ4つの河川(思川、別府川、網掛川、日木山川)の沖積平野です。
  • 牟礼ヶ丘連山:鹿児島市との境界にそびえる山々で、姶良平野と海岸線へ急激に落ち込んでいます。
  • 北薩火山群:北部に位置する山々で、別府川の支流が流れています。
  • 十三塚原:北東部の霧島市との境界付近に広がる台地で、網掛川や日木山川の支流が霧島市側から流れ込ん

隣接する市町村

  • 鹿児島市
  • 霧島市
  • 薩摩川内市
  • 薩摩郡さつま町

気候

姶良市は、温暖な気候に恵まれた地域です。年間平均気温は約17度、年間降水量は約2,200mmです。夏から秋にかけて台風が襲来することが多いですが、温暖な気候と豊かな自然が、人々を魅了しています。

産業

姶良市は、農業、林業、漁業、製造業、商業など、多様な産業が活発なまちです。

第一次産業

  • 農業: 水田稲作が盛んで、加治木町では温州みかん、鹿児島市近郊では野菜の生産も盛んです。
  • 畜産業: 卵の生産を目的とした養鶏が盛んに行われています。
  • 漁業: かつては真珠養殖が盛んでしたが、現在はハマチの養殖が盛んです。網掛川はアユの名産地として知られています。
  • 林業: 蒲生町の蒲生杉や孟宗竹が有名です。

第二次産業

  • 製造業: 龍門司焼、蒲生和紙の生産など、伝統的な産業が根強く残っています。
  • その他の産業: 食品加工、建設資材製造、金属加工、電子部品製造など、幅広い分野で企業が進出しています。

第三次産業

  • 商業: 姶良市役所周辺や帖佐駅周辺などに商店街が形成されています。
  • 流通業: イオン姶良ショッピングセンターなど、大型商業施設が複数立地しています。

観光

姶良市には、歴史、自然、文化など、さまざまな魅力が詰まっています。

歴史観光

  • 蒲生八幡神社: 樹齢約1,500年と推定される蒲生のクスで有名な神社。
  • 岩剣城跡: 日本で最初に鉄砲が実戦で使用されたと言われている戦国時代の山城。
  • 龍門司坂: 江戸時代に幹線道路として使用された石畳の坂道。
  • 白銀坂: 海岸沿いを通る現在の国道10号になる道路が明治になって開通するまで、姶良郡方面から鹿児島市へ抜けるために台地の上まで登る街道として利用されていた坂。
  • 姶良市総合運動公園: 陸上競技場、野球場、体育館、テニスコートなどを備えた総合運動公園。
  • 重富温泉: ナトリウム – 塩化物泉の温泉。
  • 陶夢ランド: 陶芸と健康づくりの拠点施設。

自然観光

  • 龍門滝: 網掛川が姶良平野に流れ出す場所にある高さ46m、幅43mの滝。日本の滝百選に選ばれています。
  • 蔵王岳: 加治木町日木山にあり、市街地からよく見えるところに屹立する標高164mの山。
  • 住吉池: 約6,000年前の火山活動で形成された池。
  • 県民の森: 第35回全国植樹祭が行われた会場の跡地を利用した森林公園。
  • さえずりの森: バンガローやコテージを備えた施設。
  • なぎさ公園: 脇元の海岸沿いにある公園。潮干狩りなどができる。

文化観光

  • 椋鳩十文学記念館: 児童文学者の椋鳩十が長く加治木町に居住していたことを記念して開館した文学記念館。
  • 姶良市歴史民俗資料館: 姶良市の歴史や文化を紹介する資料館。
  • スターランドAIRA: 姶良市立の天文台。

交通アクセス

  • 航空機: 鹿児島空港から車で約30分
  • 鉄道: JR日豊本線 加治木駅、帖佐駅、姶良駅、重富駅
  • 自動車: 九州自動車道 加治木IC、姶良IC

まとめ

姶良市は、歴史、自然、文化、産業など、さまざまな魅力が詰まったまちです。鹿児島市のベッドタウンとしての発展を続けながらも、伝統文化を守り、豊かな自然を活かしたまちづくりを進めています。ぜひ、歴史と自然が織りなす魅力的な姶良市を訪れてみてください。

姶良市についてのクイズ

姶良市はどの県に位置していますか?

姶良市は鹿児島県の中央部に位置しています。この地域は歴史的にも重要であり、古代の隼人族から始まり、平安時代、戦国時代を経て、近世の薩摩藩の時代に発展しました。現在は、鹿児島市のベッドタウンとしても知られ、自然や文化が豊かに残る魅力的な地域です。姶良市は鹿児島湾(錦江湾)に面しており、人口約77,000人の活気ある町です。また、地元の産業も農業や林業、漁業など多岐にわたり経済の基盤となっています。

姶良市の中心部を占める平野は何と呼ばれていますか?

姶良市の中心部を占める平野は「姶良平野」と呼ばれています。この平野は、鹿児島湾に注ぐいくつかの河川の沖積平野であり、農業が盛んな地域です。特に水田稲作が行われており、周辺では温州みかんや野菜が生産されています。姶良平野は、地形的にも自然環境に恵まれており、生活に必要な資源も豊富で、地域経済を支える大切な場所になっています。また、姶良平野は市の様々な観光名所と近接しており、歴史や文化を体験する機会も多くあります。

姶良市で有名な温泉は何ですか?

姶良市で有名な温泉は「重富温泉」です。この温泉はナトリウム – 塩化物泉で、観光客に人気があります。姶良市は自然環境に恵まれており、さまざまな観光名所とともに、リラックスできる温泉地が豊富です。重富温泉は、その温泉の豊富なミネラル成分による効能が評価されており、スパや宿泊施設が整備されています。地元の人々にも利用されており、心身を癒やす場所として親しまれています。また、周辺には観光スポットも多く、観光客が訪れる際に立ち寄ることがよくあります。

姶良市にある文学記念館は誰を記念して作られましたか?

姶良市にある文学記念館は児童文学者の「椋鳩十」を記念して開館しました。椋鳩十は長く加治木町に居住していたことで知られ、その業績が評価されています。記念館では彼の著作や生涯に関する展示が行われており、訪れる人々に彼の歴史的な背景や影響を伝えています。このような文学記念館は、地域の文化や教育に寄与する重要な施設となっており、学校の課外授業や一般の人々の学びの場としても利用されています。地域の文化を復活・継承するための拠点として、椋鳩十は今も姶良市の人々に愛されています。