国後島の東半分を占める、かつて日本の村だった「留夜別村」。ロシアが占領・実効支配する現在、忘れられつつあるその歴史と魅力を、写真や記録と共に紹介する。
忘れられた日本の村、留夜別村
北海道国後郡に属する留夜別村(るよべつむら)は、国後島の東半分を占める、かつては日本最大の面積を誇った村でした。しかし、現在ではロシアが占領・実効支配しており、日本の施政権は及んでいません。そのため、法令上のみ存在する村となり、実質的には無人地帯となっています。
豊かな自然とアイヌ文化が息づく地
留夜別村は、雄大な山々、清流、湖沼など、豊かな自然に恵まれた土地です。アイヌ語で「ルヨペッ(ルイオペッ)」と呼ばれるこの地名は、河原に砥石として使われた溶結凝灰岩に由来しています。
壮大な自然
- 山: 爺爺岳、ルルイ岳、エビカラウス山、擂鉢山
- 河川: ソコボイ川、音根別川、チクニ川
- 湖沼: 西ビロク湖、東ビロク湖、オン湖、オンネ湖、ニキショロ湖(泊村との境界上)
- 岬: 安渡移矢岬、ルルイ岬、留夜別岬、赤石鼻
忘れられた集落
かつては、留夜別、礼文磯、乳呑路、植内、白糠泊など多くの集落が存在していました。しかし、現在ではすべて廃村となり、ロシアが設置した国立公園の管理官以外は無人となっています。
- 乳呑路集落墓地跡: 壊され打ち棄てられた日本人の墓石は、かつての悲惨な状況を物語っています。
繁栄と消滅、激動の歴史
留夜別村の歴史は、開拓と戦争、そして喪失の歴史です。
開拓と発展
- 1923年: 留夜別村と大滝村が合併し、二級町村として成立しました。
- 1930年代: 製材業、水産業などが盛んになり、人口は増加しました。
- 1941年: 第二次世界大戦が勃発し、戦争の影響を受け始めます。
戦争と喪失
- 1945年: ソ連軍が国後島に侵攻し、留夜別村は占領されました。
- 1946年: 日本政府は、国後島を含む千島列島をソ連に割譲することを宣言しました。
- 1947年: 留夜別村は、日本政府から法令上のみ存在する村となりました。
- 1950年代以降: 住民は北海道本土へ移住し、村は無人となりました。
忘れられた歴史を語り継ぐ
現在、留夜別村はロシアによって管理され、日本の施政権は及んでいません。しかし、かつてこの地に暮らしていた人々の歴史と文化は、決して忘れてはなりません。
留夜別村の記憶を伝えるもの
- 千島歯舞諸島居住者連盟: 元島民の団体であり、歴史と現状を広く知らしめる活動を行っています。
- 博物館や資料館: 北海道や各地に、北方領土に関する資料や展示があります。
- 写真や記録: 貴重な写真や記録は、過去の生活や文化を伝える重要な資料です。
北方領土問題と未来
留夜別村は、北方領土問題の象徴的な存在です。領土問題の解決は、かつての住民や子孫にとって切実な願いであり、未来へ向けて重要な課題です。
- 平和的な解決: 紛争ではなく、平和的な外交交渉を通じて解決を目指すことが重要です。
- 歴史教育: 北方領土の歴史や現状を正しく理解し、次世代に継承していく必要があります。
- 国際的な連携: 国際社会との連携を深め、問題解決に向けて共に努力していくことが重要です。
留夜別村は、豊かな自然と歴史、そして人々の暮らしをたたえた場所でした。その記憶を継承し、平和な未来に向けて努力していくことが、私たちの責務です。
留夜別村についてのクイズ
留夜別村はどこに位置していますか?
留夜別村は国後島の東半分を占める、かつて日本最大の面積を誇った村です。この村は北海道国後郡に属し、豊かな自然環境を有していましたが、現在はロシアの実効支配下にあり、日本の施政権が及んでいません。したがって、実質的には無人地帯となっています。ロシアが占領したことによって、村の存在は法令上のみとなり、地域の歴史や文化は徐々に忘れられつつあります。留夜別村の地理的な位置は、その歴史的意義や現在の状況に深く関連しており、北方領土問題の象徴的な場所となっています。
留夜別村の自然環境に見られる特徴は何ですか?
留夜別村は雄大な山々、清流、湖沼など、豊かな自然に恵まれた地域です。ここには、爺爺岳やルルイ岳といった山々、ソコボイ川や音根別川などの河川、西ビロク湖や東ビロク湖といった湖沼が存在します。また、アイヌ語での地名の由来からもわかるように、アイヌ文化が長い歴史を持つ地です。かつては多くの集落が存在していましたが、現在では廃村となり、豊かな自然が主な特徴として残っています。したがって、留夜別村は都市化とは対極にある、自然と文化の共存する地域であったことがわかります。
留夜別村が法令上のみ存在する村となったのはいつですか?
留夜別村は1947年に日本政府から法令上のみ存在する村という扱いになりました。これは日本がソ連による侵攻を受けたことに関連しています。具体的には、1945年にソ連軍が国後島に侵攻し、翌年には日本政府が国後島を含む千島列島をソ連に割譲することを宣言しました。これにより、留夜別村は実質的に無人化し、住民は北海道本土に移住することとなりました。このような歴史的背景から、留夜別村は現在、法的には存在しているものの、何もない無人地帯となってしまったのです。
留夜別村の歴史において、1960年代以降の住民の動きは何を指しますか?
留夜別村の歴史において、1950年代以降、住民は北海道本土へと移住しました。これは村が無人となる直接の要因です。実際に1945年から1946年にかけてソ連による占領が行われ、その結果として日本の施政権が失われました。その後、住民は生活環境や安全を求めて本土に移ることを選択し、村は次第に人の気配がなくなりました。このように、留夜別村の住民の移住は、歴史的な戦争や領土問題が大きく影響を及ぼしていることを示しています。