福島県郡山市:東北の経済の中心地、音楽都市「楽都郡山」の魅力を探る

活気あふれる商都として、そして音楽都市として発展を続ける福島県郡山市。東北地方有数の経済規模を誇り、近年は再生可能エネルギーや医療機器産業の振興にも力を入れています。歴史と文化、そして豊かな自然に恵まれた郡山市の魅力を、2000字で詳しくご紹介します。

概要

福島県の中通り中部に位置する郡山市は、中核市に指定され、東北地方有数の商工業都市として発展してきました。福島県内第1位、東北地方第2位の人口を誇り、仙台都市圏に次ぐ規模を持つ郡山都市圏を形成しています。1924年に市制施行、1965年に周辺町村との合併により現在の郡山市が誕生しました。

郡山市の領域は、奥羽山脈の東西に広がり、西部は猪苗代湖南岸、東部は阿武隈高地に位置しています。市街地エリアは栃木県宇都宮市と宮城県仙台市の中間に位置し、東北新幹線、東北本線、東北自動車道、国道4号で結ばれています。西は会津若松市や新潟市、東はいわき市へと、磐越自動車道や磐越西線・磐越東線、国道49号でアクセスできます。

郡山市の交通の要衝としての役割は、経済、内陸工業、流通、交通面で大きな影響を与え、東北地方第2位の人口と経済規模を持つ郡山都市圏を形成する要因となっています。福島県域放送をしているテレビ局2局とFM局1局が立地し、県庁所在地ではないにもかかわらず、福島県の情報集散地の一つとしても機能しています。

歴史

郡山市は、古代から安積郡の中心地として栄えてきました。7世紀の安積郡設置以降、8世紀には石背国の国府が置かれたという説もあり、歴史的な重要な拠点として位置づけられていました。

鎌倉時代には伊東氏の支配下にあった郡山市は、南北朝の争乱地帯となり、政治状況は激動の時代を迎えます。室町時代には、安積町に篠川御所が設けられ、南東北の政治的中心地として発展しました。しかし、戦国時代には伊達氏や蘆名氏の影響下にあったため、主体的な権力を保持する戦国大名には成長できませんでした。

江戸時代には、奥州街道の郡山宿が置かれ、周辺は農家のための秣場や原野が広がる「安積三万石」の地として知られていました。しかし、明治時代に入り、安積開拓事業が開始されると、郡山は大きく発展していきます。

1877年、明治政府が国費による開発事業の第一号として郡山を選定し、「安積開拓」が開始されました。猪苗代湖から疏水を開削し、水利の悪かった安積原野を開発することで、郡山は肥沃な大地へと生まれ変わりました。疏水に伴う水力発電事業が地域経済に大きな効果をもたらし、紡績工場など多くの工場が誘致され、郡山は近代化を急速に進めていきます。

1924年には市制を施行し、「郡山市」が誕生。戦後の高度経済成長期には、京浜工業地帯の企業が数多く進出し、関東地方との繋がりが強まりました。1965年には周辺町村と合併し、現在の郡山市が誕生しました。

地理

郡山市は、福島県の中央部に位置し、安積原野と呼ばれる海抜245mの平坦地を中心に市街地が広がっています。西に猪苗代湖、東に阿武隈山地、北は安達太良山に接しており、市の中心部を南から北へ阿武隈川が流れています。

気候

郡山市は、乾燥した気候で、一年を通して風が吹くのが特徴です。冬は比較的寒く、マイナス10度を下回ることは稀ですが、日中の最高気温は低く、真冬日も珍しくありません。一方、夏は盆地の福島市ほど暑くならず、35度を超えることは稀で、熱帯夜となることも少ないため、過ごしやすい気候と言えます。

行政

郡山市は、市長を首長とする市議会制を採用しています。2023年9月1日現在の市長は品川萬里氏です。

ナンバープレート

郡山市は、2014年11月17日から「郡山ナンバー」が交付されています。

経済

郡山市は、福島県の経済の中心地であり、年間商品販売額は県内第1位、東北地方第2位を誇ります。卸売業と小売業のシェアが高く、福島県の「商都」「経済県都」とも呼ばれています。

陸の港

郡山市は、東北新幹線、東北自動車道、磐越自動車道などの高速交通網が整備され、東日本の交通の要衝として「陸の港」と呼ばれています。全国有数の敷地面積を持つ郡山貨物ターミナル駅も立地し、物流の拠点としての重要性も高まっています。

コンベンション都市

郡山市は、交流人口の拡大と地域振興を図るため、コンベンション都市を目指しています。ビッグパレットふくしまや郡山ユラックス熱海などのコンベンション施設が充実し、各種展示会や学会の誘致にも積極的に取り組んでいます。

新たな産業の振興

郡山市は、再生可能エネルギーと医療機器産業を震災後の産業復興の柱として位置付け、積極的に振興を進めています。産総研福島再生可能エネルギー研究所やふくしま医療機器開発支援センターの設置などにより、新たな産業の創出に取り組んでいます。

文化

音楽都市「楽都郡山」

郡山市は、かつて「東北のシカゴ」と呼ばれ、治安の悪さからイメージダウンに悩んでいました。しかし、市民の音楽活動が活発化し、音楽が市民の心の拠り所となるにつれて、次第に「東北のウィーン」と呼ばれるようになるまでになりました。2008年には「音楽都市宣言」を行い、「楽都郡山」をキャッチフレーズに音楽活動を盛んに行う街として発展しています。

観光

郡山市は、歴史と文化、そして豊かな自然に恵まれた観光都市です。

観光地

  • 郡山ビッグアイ: 郡山市のランドマーク的な存在で、展望台からは市街地を一望できます。
  • 布引高原: 標高約1,000mの台地状の高原で、磐梯山や猪苗代湖を一望できます。
  • 猪苗代湖: 日本で4番目の面積を持つ湖で、美しい景観を楽しむことができます。
  • 高柴デコ屋敷: 江戸時代から続く工人の里で、伝統的な民芸品を制作しています。
  • 開成山公園: 桜の名所として知られ、春には多くの観光客で賑わいます。
  • 郡山カルチャーパーク: 市営の遊園地で、入場料が無料です。
  • 磐梯熱海温泉: 郡山の奥座敷と呼ばれる温泉地で、日帰り温泉も楽しめます。

文化施設

  • 郡山市立美術館: 郡山市が誇る美術館で、現代美術から伝統工芸まで幅広い作品を展示しています。
  • 郡山市ふれあい科学館: プラネタリウムや科学体験コーナーなど、子どもから大人まで楽しめる施設です。
  • 安積歴史博物館: 安積開拓の歴史や文化を学ぶことができる博物館です。

イベント

  • 郡山うねめまつり: 郡山市の夏の風物詩で、毎年8月に開催される伝統的な祭りです。
  • ビッグツリーページェント・フェスタ in KORIYAMA: クリスマスシーズンに開催されるイベントで、郡山駅周辺がイルミネーションで彩られます。

まとめ

福島県郡山市は、東北の経済の中心地であり、音楽都市として発展を続ける魅力的な街です。歴史と文化、そして豊かな自然に恵まれ、観光やレジャーにも最適です。ぜひ郡山市を訪れて、その魅力を体感してください。

郡山市についてのクイズ

郡山市が市制を施行した年は何年ですか?

郡山市は1924年に市制を施行し、「郡山市」としての自治体が正式に誕生しました。この時期は、郡山が交通の要衝としての重要性を増し、経済活動が活発化しはじめた時でもあります。その後、1965年には周辺町村との合併により現在の形態が形成され、さらに人口や経済の規模が拡大していきました。郡山市は長い歴史を持ち、古代から安積郡の中心地として栄えてきたこともあり、郡山市が今日のような活気ある都市へと発展するための基盤が整ったのはこの時期が大きな分岐点となっています。

郡山市の名称の由来は何ですか?

郡山市の名称は、古代からの「安積郡」に由来しています。安積郡は、古代からこの地域の中心的な位置を占める郡であり、地域の政治や経済の中核を担ってきました。特に安積郡設置以降、郡山はその中心地として栄え、商業の発展を支える重要な役割を果たしました。名称に「郡」を含むことは、この地域の歴史的背景を表しており、また地域が持つ歴史的な意義を示しています。このような由来は、地域住民のアイデンティティとも深く結びついています。

郡山市の気候はどのような特徴がありますか?

郡山市は乾燥した気候が特徴で、一年を通して風が吹くことが多い地域です。冬には比較的寒い日が多く、真冬日もありますが、マイナス10度を下回ることは稀です。また夏は、盆地特有の暑さが緩和され、35度を超えることはほとんどないため、熱帯夜にもなりにくく、全体として過ごしやすい気候とされています。このような気候条件は、郡山市の自然環境や農業生産にも大きく影響し、地域特性に合った産業の発展や市民生活の質に寄与しています。

郡山市の音楽都市としての取り組みはいつから始まりましたか?

郡山市は、2008年に「音楽都市宣言」を行い、以降「楽都郡山」というキャッチフレーズのもと音楽活動を盛んに行う街として発展してきました。この宣言により、地域の音楽文化が再評価され、市民の音楽活動が促進されることで、「東北のウィーン」としての位置づけが強まりました。音楽活動を通じて、地域コミュニティの絆が深まり、住民が誇りを持って生活できる環境の創出に寄与しています。音楽の振興は、地域の活性化にも貢献し、多くのイベントやコンサートが行われ市民の意識を高めています。