岩手県宮古市は、三陸海岸の北端に位置する、本州最東端のまち。雄大な自然と豊かな漁業資源に恵まれ、世界三大漁場の一つである三陸沖で獲れた新鮮な魚介が堪能できる。
浄土ヶ浜をはじめとする美しい海岸線や、早池峰山などの山々、そして閉伊川などの清流が織りなす風景は、訪れる人を魅了する。
概要
宮古市は、岩手県三陸海岸を代表する都市の一つであり、「本州最東端のまち」を掲げ、世界三大漁場の一つ三陸沖の豊かな漁業資源と、三陸復興国立公園・浄土ヶ浜や早池峰国定公園を代表とする森・川・海の豊かな自然環境を背景に、漁業と観光に力を入れている。
1941年に市制を敷き、盛岡市、釜石市に次いで県内で三番目に市制移行した自治体となった。2005年に田老町、新里村と新設合併し、改めて宮古市(2代目)が誕生。さらに2010年の川井村の編入によって県内一の面積を有する自治体となった。市域は旧・宮古市部と、北部の田老地区、山間部の川井・新里地区に大きく分けられる。人口は岩手県の太平洋沿岸部の市町村の中では最も多い。面積は岩手県内で1位の大きさ、全国の市町村でもランキング11位の大きさを有する。
県庁所在地である盛岡市からは北上山地を隔てて約100 km離れているため、盛岡を初めとする北上盆地とは独立した地域圏を形成している。
ただし、旧・川井村の門馬エリアについては地理的な観点から盛岡との結びつきが市内他地域に比べると強い。
2011年3月11日に発生した東日本大震災では津波により大きな被害を受けた。市内中心部の被害はある程度抑えられたものの、沿岸集落は壊滅的被害となった。
地理
位置
宮古市は三陸海岸におけるリアス式海岸の北端に位置しており、宮古を境にして南がリアス式海岸、北が海岸段丘になっている。また、内陸や対岸との位置関係では、盛岡市(北上盆地)と秋田県秋田市(日本海沿岸)から真東に位置している。
2010年1月の川井村の編入により、市の面積は696.82 km2から1,259.89 km2に拡大し、一関市を抜いて岩手県の市町村で最大の面積を有することとなった。これは2015年時点で、日本の市の面積では東北では山形県鶴岡市に次いで2番目、全国でも8番目の大きさである。しかしその9割は山林であるため、可住地面積は約117 km2と、総面積の約9%に止まり、少ない平地に人家が密集している状態である。そのため総面積当たりの人口密度は低いものの、可住地面積当たりの人口密度は約421(人/km2)と県内平均を上回る。
市域中央部を西から東に閉伊川が貫流し、市街地のある宮古湾へと注いでいる。西部の川井地区は平地はほとんどなく、川沿いに人家が密集する地区が多い。周囲には早池峰山と青松葉山がある。北部の新里地区には刈屋川が南へ流れ、茂市(もいち)で閉伊川に合流する。閉伊川と刈屋川に沿って、国道106号(旧・閉伊街道)と国道340号がそれぞれ並走する。市の南東部から北に向かって津軽石川が流れ、宮古湾に注いでいる。
市街地を覆うように重茂半島が南から延び、宮古湾を形成している。重茂半島には、月山(標高455.9 m)があり、市街地への見通しが良い関係から、テレビ・ラジオの中継塔が設置されている。山道口まではバスで行くことができる。太平洋に突き出る重茂地区の魹ヶ崎は本州の最東端であり、観光協会が「本州最東端訪問証明書」を発行するなど「最東端の市」として観光にも力を入れている。南に隣接する山田町との境に位置する十二神山には、航空自衛隊のレーダーサイトがあるため、入山に制限が設けられている。
自然
- 山地:早池峰山、青松葉山(あおまつばやま)、十二神山(じゅうにじんざん)、月山(がっさん、別名:御殿山)
- 河川系:閉伊川、刈屋川、津軽石川(つがるいしがわ)
- 沿岸地形:宮古湾、重茂半島、魹ヶ崎、浄土ヶ浜、真崎海岸(まさきかいがん)
隣接する自治体
- 下閉伊郡
- 岩泉町:北部で幅広く隣接。
- 山田町:南部で隣接。
- 盛岡市:西部で隣接。
- 花巻市:南西部で一部が隣接。
- 遠野市:南部で隣接。
- 上閉伊郡
- 大槌町:南部で一部が隣接。
主要都市までの概算距離
北方向(沿岸)
* 岩手県久慈市 – 95 km
* 青森県八戸市 – 150 km
* 青森県青森市 – 245 km
南方向(沿岸)
* 岩手県釜石市 – 55km
* 岩手県大船渡市 – 93km
* 宮城県気仙沼市 – 133 km
* 宮城県石巻市 – 214 km
* 宮城県仙台市 – 264 km
* 福島県相馬市 – 320 km
* 福島県いわき市 – 415 km
* 茨城県水戸市 – 510 km
* 千葉県銚子市 – 600 km
* 東京都 – 618 km
西方向(山側)
* 盛岡市 – 100 km
* 秋田県仙北市(角館) – 165 km
* 秋田市 – 220 km
地名の由来
以下の諸説がある。
- 「港」の転訛
- 貿易物としての「都物」が収められる場所
- 「宮」のある「処」であること
- 閉伊郡の政治、経済の中心地で都のように栄える場所
- ミヤ(野原)コ(土地)
また、京の「都」と同訓異字の「宮古」を天皇から賜ったとする、和泉式部や源義経に関連する伝説が存在する。
いずれにしても中世文書においては「宮古」と地名を記している文献は見受けられない。鎌倉時代においては「閉河」や「閉崎」という特定の地名で呼ばれている。公的な文献で初めて宮古の文字が登場するのは、元和4年(1618年)に、盛岡藩の船員の名前を記した『浜田家文書』(岩手大学所蔵)であり、船員の一人に「宮古衛門二郎」という人物の名が見られる。これ以前の中世の時代に、地名及び集落としての「宮古」が存在したかは不明である。少なくとも宮古という地名が公的に認知されるのは、領内を統一した南部氏が新たに町を開いた慶長年間以後のことである。
気候
ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候だが、最暖月の平均気温が22.1度と日本ではかなり涼しく、西岸海洋性気候に近い気候である。また、標高734mの区界は藪川と同様に冬の寒さが厳しく、亜寒帯湿潤気候・湿潤大陸性気候に属している。
宮古市鍬ケ崎下町(宮古特別地域気象観測所、標高43m)の気候 |
---|
月 |
最高気温記録 °C (°F) |
平均最高気温 °C (°F) |
日平均気温 °C (°F) |
平均最低気温 °C (°F) |
最低気温記録 °C (°F) |
降水量 mm (inch) |
降雪量 cm (inch) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) |
平均降雪日数 (≥1cm) |
% 湿度 |
平均月間日照時間 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1883年-現在)[3][4] |
歴史
盛岡藩の外港
現在の宮古市の発祥は、盛岡藩主・南部利直によって盛岡藩(盛岡城下町)の外港として宮古の町が開かれたことに由来する。また現在の普代村から山田町豊間根までの行政を管轄する代官所が置かれ、周辺地域の政治、経済の中心地であった。江戸時代に三陸沿岸と江戸・関東とを結ぶ海運が盛んになると、沿岸漁村で産出される諸色や俵物を集荷し江戸へ移出するための拠点となり、前川善兵衛や鍬ヶ崎の和泉屋などの長崎俵物を扱う御用商人や、盛合家などの三陸の水産物を扱う有力商人や交易に携わる廻船問屋の活動が活発となった。また宮古は東廻海運の要港であり、海産物などの交易船や松前・東北諸藩が江戸へ参勤交代で必要な物資や米などを輸送するための廻船の重要な寄港地として、料亭や遊廓が軒を連ねる奥州でも有数の商港として賑わった。
宮古湾海戦
戊辰戦争においては、蝦夷地にて独立を図る榎本武揚・土方歳三らの旧幕府海軍艦隊(蝦夷共和国軍艦隊。総司令官:荒井郁之助。旗艦「回天丸」[艦長:甲賀源吾])が、宮古湾の鍬ヶ崎湊(くわがさきみなと。現在の宮古港の前身)に停泊する新政府軍艦隊の主力艦である装甲艦「CSS Stonewall」(ストーンウォール[日本名:甲鉄艦]。1871年12月に「東艦」と改称)を奪取すべくアボルダージュ(接舷攻撃)作戦を決行した、いわゆる宮古湾海戦が勃発した。
沿革
古代の宮古地域は、須賀古麻比留のような村長達により治められていたと考えられている。平安時代には、遺跡の出土品から奥州藤原氏との関連があったことが判明している。鎌倉時代には鎌倉御家人の閉伊氏一族が土着し勢力を広げるが、室町時代以降は南部氏一族が勢力を拡大。九戸政実の乱終結後は宮古地域の村々はそれぞれ南部氏配下の武将による地方知行となり、近世に至る。
近世の宮古は北上山地に阻まれ、盛岡城下町など内陸部との往来や輸送が滞ることの多い土地柄であった。陸の孤島になりがちな当地の交通網の整備に尽力した僧・牧庵鞭牛らの功績は今もって賛えられている。宮古はまた、V字型の湾の両岸が奥に進むにつれて狭くなるリアス式海岸地形の特殊性によって津波の被害も大きく、古来より大規模な被害の出る津波に襲われている。
昭和時代に入ると国鉄山田線の開通とラサ工業の進出により近代港湾都市として発展。山間部では閉伊川筋の電力資源の開発に伴い、窯業・鉱業・木材工業関連の企業が相次いで設立された。第二次世界大戦後の高度経済成長期には北洋漁業やサンマ漁船の基地として賑わった。また木材港の整備により合板企業の集積が進んだ。1970年代には国道45号・国道106号線の全線開通と、宮古港の公共埠頭の整備により三陸海岸の拠点都市としての地位を高め、1980年代にかけてゴルフ場や国民休暇村・グリーンピアの設置などレジャーや観光業の発展が見られた。また1974年のヒロセ電機の進出により、コネクタ関連の日本有数の産業集積地となった。1984年には第三セクターの三陸鉄道が開業した。
平成時代の1992年にはJAPAN EXPO(地方博覧会)として三陸・海の博覧会が開催され、藤原地区にパビリオンが設置された。2011年には東日本大震災の津波により甚大な被害を受け、被災した市街地の再開発と、復興道路として三陸沿岸道路や宮古盛岡横断道路の高速交通インフラの整備が進められている。2018年には北海道室蘭市とのフェリー航路が開通したが、2020年に運航休止となった。
行政
歴代市長
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代 | 熊坂義裕 | 2005年7月3日 | 2009年7月2日 | 旧宮古市長 |
2-4代 | 山本正徳 | 2009年7月3日 | 現職 |
姉妹都市・友好都市
日本国内
* 黒石市(青森県):旧・宮古市が1966年(昭和41年)4月1日に姉妹都市提携。
* 八幡平市(岩手県):旧・田老町が旧・松尾村と1986年(昭和61年)10月1日に姉妹都市提携。
* 多良間村(沖縄県 宮古郡):旧・宮古市が1996年(平成8年)2月6日に姉妹市村提携。
日本国外
* 烟台市(中華人民共和国山東省):旧・宮古市が1993年(平成5年)10月26日に友好協力都市提携。
* ラ・トリニダッド市(en。フィリピン共和国ベンゲット州) :旧・新里村が1992年(平成4年)8月7日に友好交流都市提携。
経済
産業
古来、水産業で栄え、名産品としては、鮭、イクラ、ウニ、アワビ、毛ガニ、ワカメなどが挙げられる。特にサケやサンマ、マダラは全国屈指の水揚げを誇る。ウニは、生のまま牛乳瓶の形をした瓶に入れて、型崩れ防止用の明礬を加えない「瓶ウニ」が長く名物であった。東日本大震災後の2018年から、様々な魚介類や海藻、薬味、野菜などを入れて、丼飯にかけて食べる「瓶ドン」をご当地グルメとして展開するなど、水産は観光客誘致にも寄与している。
工業では、ヒロセ電機や関連企業などによる電子部品の製造、ラサ工業宮古工場によるガリウムの生成、製造と同NCRI事業部による石油精製触媒の再生事業、片倉コープアグリ宮古工場による化学肥料製造やホクヨープライウッドによる合板加工などが主産業である。宮古税関管内(宮古港)の平成28年の輸出入貿易額は、輸出が387億9千6百万円で、ドイツやベルギー、アメリカ向けのポンプ、遠心分離機等の一般機械がその8割を占める。輸入は食料品や木材が多く、貿易額ではロシアがその半分を占める。平成26年の製造品出荷額は7,475(千万円)で、岩手県内で8位である。
平成26年度の一人当たり市町村民所得は276万円(県調査統計課)で、復興需要により震災前より急上昇しており、県南を上回り盛岡市などの県央部に匹敵する額になっている。平成28年の観光客入込数は1,117,932(単位・人回、県観光統計概要)で、県沿岸部の市町村ではトップの数字となっている。
震災による影響
宮古市の東日本大震災による被害総額は2457億円と推計されており、このうち住宅被害が1496億円と全体の約61%を占めている。また市内では1,078の事業所が被災し、業種別ではサービス業が547事業所(51%)、商業が334事業所(31%)、製造業125事業所(12%)などとなっている。
港湾
- 宮古港:1951年(昭和26年)1月19日指定の重要港湾。近代以前の鍬ヶ崎湊(くわがさきみなと)を前身として発展した。
名所・旧跡・観光施設など
景勝
- 浄土ヶ浜:三陸復興国立公園の中心的な名勝(1955年指定)。岩手県指定名勝(第1号)(1954年指定)であり、日本の白砂青松100選(1987年)、およびかおり風景100選(環境省、2001年)の選定地でもある。
- 魹ヶ崎:本州最東端の地。
- 本州最東端の碑
- 魹ヶ埼灯台:本州最東端の灯台。
- 臼木山
- 月山
- ローソク岩
- 潮吹穴
- 日出島
- 重茂の大ケヤキ:森の巨人たち百選に「『森林浴の森』の木」名義で選定されている。
- 三王岩
- 真崎海岸
- 早池峰山:日本百名山に選定されている。
- 区界(くざかい)高原
旧跡
- 崎山貝塚:縄文時代の貝塚。国指定史跡。
- 横山八幡宮
- 黒森神社
- 常安寺
- 盛合家住宅:江戸期の豪商の邸宅。盛岡藩主の他、伊能忠敬も滞在。国の登録有形文化財。
- 旧東屋酒造店:1824年(文化7年)創業の酒屋・廻船問屋・質屋。店舗兼主屋、酒蔵、質蔵が国の登録有形文化財。
- 宮古港海戦記念碑:明治2年3月25日(1869年5月6日)に起こった宮古湾海戦の記念碑。
- 大津浪記念碑:1933年(昭和8年)の昭和三陸地震による津波の後で建てられた災害記念碑で、「此処より下に家を建てるな」との先人訓が東日本大震災の津波から現地・姉吉地区の住民の命を守った。
観光施設・多目的施設
- 土産物
- 宮古魚菜市場
- 海水浴場
- 浄土ヶ浜海水浴場:浄土ヶ浜内にある海水浴場で、2001年(平成13年)に日本の水浴場88選(環境省)、2006年(平成18年)には「浄土ヶ浜の潮のかおり」名義で快水浴場百選(環境省)の選定地となった。
- 女遊戸海水浴場
- 真崎海岸海水浴場
- 蛸の浜海水浴場
- 藤の川海水浴場
- 大須賀海水浴場
- 展示館など
- 岩手県立水産科学館
- 崎山貝塚縄文の森ミュージアム
- 宮古市北上山地民俗資料館
- 薬師塗漆工芸館
- 西塔幸子記念館
- 寄生木展示室(山口公民館)
- みなとオアシスみやこ
- シートピアなあど
- 浄土ヶ浜ビジターセンター
- 浄土ヶ浜マリンハウス
- 浄土ヶ浜レストハウス
他の名所・施設
- がっかり島:無人島
- ラサの煙突:田老鉱山を稼行したラサ工業の宮古工場において、銅精錬で出る亜硫酸ガスを排出するために建設された高さ160 mの煙突。小山田地区にある標高90 mの山上に建ち、煙突本体と併せて250 mの高さとなる。1939年(昭和14年)6月の操業開始以来、長らく宮古のランドマークである。
- 田老の防潮堤:田老地区の沖合いに建設された防潮堤。時代を追って巨大かつ堅牢なものとなり、海抜10 m・長さ2.4 kmにも及ぶに至り、中国の万里の長城になぞらえて「田老万里の長城」「田老の万里の長城」などと雅称されるようになった。海側と陸側の二重構造になっている、日本最大規模の防潮堤であったが、東日本大震災では地震直後に20m級の津波が押し寄せたため、海側に面した堤防の半分が崩壊した。
- たろう観光ホテル(震災遺構):かつてホテルとして営業していたが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災による津波で被災・損壊した後、津波の脅威を伝えるための震災遺構として整備された。
- 震災メモリアルパーク中の浜:かつて、中の浜は海岸部に隣接するキャンプ場であったが、東日本大震災の際に15メートルを超える津波が押し寄せ、甚大な被害を受けている。現在、被災したキャンプ場のトイレと炊事場を震災遺構として保存している。
イベント・祭り
- 宮古毛ガニまつり(3月、毛ガニを割安で販売)
- 浄土ヶ浜まつり(4 – 5月の大型連休中に開催)
- 宮古夏祭り(7月、花火大会など)
- 重茂味まつり(8月、ウニやアワビなどを割安で販売)
- みやこ秋まつり(9月、横山八幡宮の例祭)
- 新里まつり(10月、鮎の塩焼きや豆腐田楽など郷土料理を販売)
- 川井村郷土芸能祭(10月)
- 田老鮭・あわびまつり(11月、鮭やアワビを割安販売)
- 宮古鮭まつり(12月、鮭のつかみ取りイベントなど)
伝統芸能
- 黒森神楽:国の重要無形民俗文化財(2006年3月15日指定)。
- 小沢獅子踊:市指定無形民俗文化財。
交通
宮古市は三陸沿岸の交通の拠点であり、2021年度には三陸沿岸道路の開通により、北は青森県八戸市から南は宮城県仙台市まで接続された。公共交通機関では県庁所在地である盛岡市への急行バスが発着しており、鉄路ではJR東日本山田線が宮古駅 – 盛岡駅間を運行しているとともに気仙沼市を経由して仙台市まで直通する高速バスも発着している。また三陸鉄道リアス線が盛駅(大船渡市) – 久慈駅(久慈市)間を運行している。海路では2018年に北海道室蘭市へのフェリー航路が就航したが、2020年4月から運航休止中となっている。
鉄道
東日本旅客鉄道(JR東日本)
* 山田線
+ 区界駅 – 松草駅 – 川内駅 – 箱石駅 – 陸中川井駅 – 腹帯駅 – 茂市駅 – 蟇目駅 – 花原市駅 – 千徳駅 – 宮古駅
三陸鉄道
* リアス線
+ 払川駅 – 津軽石駅 – 八木沢・宮古短大駅 – 磯鶏駅 – 宮古駅 – 山口団地駅 – 一の渡駅 – 佐羽根駅 – 田老駅 – 新田老駅 – 摂待駅
航路
- フェリー(シルバーフェリー)※運航休止中
- 川崎近海汽船(宮古港 – 室蘭港)※運行船舶はシルバークイーン
都市間バス
- MEX宮古・盛岡<山田・宮古・盛岡~さいたま新都心・東京・横浜>(岩手県北バス)
- 106急行バス(岩手県北バス)
- 三陸高速バス <宮古・気仙沼~仙台> (岩手県北バス・宮城交通)
路線バス
- 岩手県北バス
- 東日本交通
- 川井地域バス
- 新里地域バス
- 田老地域バス「たろちゃんバス」
道路
自動車専用道路
一般国道自動車専用道路 (B路線)
* E45 三陸沿岸道路(三陸縦貫自動車道)
+ 一般国道45号山田宮古道路
– (下閉伊郡山田町)- (48) 宮古南IC
+ 一般国道45号宮古道路
– (48) 宮古南IC – (49) 宮古中央IC
+ 一般国道45号宮古田老道路
– (52) 田老真崎海岸IC – (53) 田老北IC
地域高規格道路
* E45 三陸沿岸道路(三陸北縦貫道路)
+ 一般国道45号田老岩泉道路
– (53) 田老北IC -(下閉伊郡岩泉町)
* 宮古盛岡横断道路(建設中)
一般国道
- 国道45号
- 国道106号:閉伊街道(宮古街道)を前身とする。
- 国道340号
道の駅
- みやこ
- たろう
- 区界高原
- やまびこ館
都道府県道
主要地方道
- 岩手県道25号紫波江繋線
- 岩手県道26号大槌小国線
- 岩手県道40号宮古岩泉線
- 岩手県道41号重茂半島線
一般県道
- 岩手県道115号茂市停車場線
- 岩手県道138号宮古停車場線
- 岩手県道142号川内停車場線
- 岩手県道143号陸中川井停車場線
- 岩手県道163号津軽石停車場線
- 岩手県道170号松草停車場線
- 岩手県道171号大川松草線
- 岩手県道177号有芸田老線
- 岩手県道200号花輪千徳線
- 岩手県道201号千徳停車場線
- 岩手県道248号浄土ケ浜線
- 岩手県道259号崎山宮古線
- 岩手県道277号宮古港線
- 岩手県道290号宮古山田線
教育
短期大学
- 岩手県立大学宮古短期大学部
高等学校
県立
- 岩手県立宮古高等学校
- 岩手県立宮古北高等学校
- 岩手県立宮古商工高等学校
- 岩手県立宮古水産高等学校
- 岩手県立杜陵高等学校宮古通信課程
私立
- 鹿島学園高等学校宮古キャンパス
- 第一学院高等学校宮古キャンパス
中学校
- 宮古市立第一中学校
- 宮古市立第二中学校
- 宮古市立河南中学校
- 宮古市立宮古西中学校
- 宮古市立花輪中学校
- 宮古市立津軽石中学校
- 宮古市立重茂中学校
- 宮古市立崎山中学校
- 宮古市立田老第一中学校
- 宮古市立新里中学校
- 宮古市立川井中学校
小学校
- 宮古市立宮古小学校
- 宮古市立山口小学校
- 宮古市立千徳小学校
- 宮古市立磯鶏小学校
- 宮古市立鍬ヶ崎小学校
- 宮古市立花輪小学校
- 宮古市立重茂小学校
- 宮古市立藤原小学校
- 宮古市立崎山小学校
- 宮古市立高浜小学校
- 宮古市立津軽石小学校
- 宮古市立田老第一小学校
- 宮古市立新里小学校
- 宮古市立川井小学校
特別支援学校
- 岩手県立宮古恵風支援学校
学校教育以外の施設
- 国立宮古海上技術短期大学校(独立行政法人海技教育機構)
- 岩手県立宮古高等看護学院
- 岩手県立宮古高等技術専門校
その他の関連事象
- 義経北行伝説:三陸沿岸では古来、源義経の末路について、「平泉にて自刃したのは臣下の将であって、義経自身は逃げ延び、沿岸を北上していった」と語り継がれてきた
宮古市についてのクイズ
岩手県宮古市はどこに位置していますか?
岩手県宮古市は、本州最東端の地に位置しています。三陸海岸の北端にあり、この地域は世界三大漁場の一つである三陸沖の豊かな漁業資源に恵まれています。宮古市は、その美しい海岸線や山々、清流に囲まれた自然環境を有しており、多くの観光客が訪れる名所でもあります。特に、宮古市は観光や漁業に力を入れた地域で、新鮮な魚介類を楽しむことができ、多様な自然景観は訪れる人々を魅了しています。また、地理的な要因から文化や産業にも独自の発展が見られ、宮古市は地域の歴史の中で重要な役割を果たしてきました。
宮古市の面積は岩手県内で何位ですか?
宮古市は、2010年の川井村の編入により、岩手県内で最大の面積を有する自治体となりました。市の面積は1,259.89 km²で、これは全国でもランキング11位の大きさです。約90%が山林で占められているため、市民が住む可住地は限られていますが、珍しい地形や豊かな自然環境が魅力的です。宮古市の地形は、リアス式海岸と海岸段丘の交錯により特異な景観を形成しており、多様な野生動物が生息している地域でもあります。このような自然環境は、観光やレクリエーションにも大きな影響を与えています。
宮古市で特に有名な観光名所は何ですか?
宮古市の観光名所として最も有名なのは、浄土ヶ浜です。この美しい海岸は、三陸復興国立公園の中心的な名勝であり、岩手県指定名勝の第一号にも選定されています。浄土ヶ浜は、白砂青松の美しい景色と、穏やかな波が訪れる人々を魅了しています。特に夏季には海水浴やウォータースポーツを楽しむ観光客で賑わいます。また、浄土ヶ浜は環境省が選定した「日本の白砂青松100選」や「かおり風景100選」にも選ばれており、その自然美は全国的に評価されています。この地域は観光のみならず、自然環境保護にも力を入れているため、ビジターセンターを通じて教育活動も行われています。
岩手県宮古市が市制を施行したのはいつですか?
宮古市は1941年に市制を施行しました。兵庫市、盛岡市に次いで県内では三番目に市制移行した自治体となります。その後、2005年には田老町と新里村との合併を経て、2代目の宮古市が誕生しました。2008年には川井村が編入され、面積が大きくなりました。また、宮古市の歴史を振り返ると、この地域が盛岡藩の外港として発展してきたこともあり、近代の発展とともに重要な役割を果たしてきました。市は漁業、観光、工業など多様な産業を育む地域として、復興に向けたさまざまな取り組みを続けています。
宮古市の気候はどのようなタイプですか?
宮古市の気候は、ケッペンの気候区分で温暖湿潤気候に分類されます。この地域は最暖月の平均気温が22.1度と比較的涼しいため、西岸海洋性気候に近い特徴も持ち合わせています。宮古市の周辺では、冬の寒さが厳しいところもあり、特に標高734m以上の地域は亜寒帯湿潤気候や湿潤大陸性気候に属しています。年間の降水量はおおむね1370mmで、降雪量もあり、四季折々の自然の美しさが感じられます。特に新緑や紅葉の季節には、観光客による訪問が多く、気候によって育まれる地元の農産物や水産物も豊富にあり、地域の文化にも影響を与えています。
宮古市の名産品には何が含まれていますか?
宮古市は水産業が盛んで、名産品には新鮮な魚介類が豊富にあります。特に、鮭、イクラ、ウニ、アワビ、毛ガニ、ワカメなどがその代表的な品目です。シャケやサンマの水揚げは全国的にも有名で、観光客や地元の人々に人気の品となっています。さらに、ウニは独自の製法で瓶詰めされ、かつては「瓶ウニ」として長い間名物とされてきました。震災後も「瓶ドン」という新たなご当地グルメを展開し、観光客を呼び込む重要な要素としています。また、観光資源である水産物をいかした料理を提供する店舗が増えており、地域の食文化の発展にも寄与しています。