リード文
宮崎県の中部に位置する国富町は、豊かな自然と歴史に彩られた、魅力あふれる町です。古くから水運で栄え、江戸時代には天領として発展した本庄地区は、現在では農業と先端産業が活発な地域として知られています。九州山地の雄大な山々、清流・本庄川が織りなす風景は美しく、心安らぐ時間を提供してくれます。また、歴史ある神社仏閣、古墳群など、歴史を感じられるスポットも数多く存在します。本記事では、国富町の魅力を余すことなく紹介します。
地理
国富町は宮崎県の中央部、宮崎市の北西隣に位置する内陸地域です。北西から南東にかけて細長く延びた形の町域で、南側が中心部にあたります。中心部から東端部にかけては宮崎平野の一角を占めており、特に台地部が多いのが特徴です。一方、北西部は九州山地の一角を占め、北西端は掃部岳(かもんだけ、1223m)の山頂にあたり、周辺には標高1000mを越える山々が連なっています。
町域南部を九州一の清流である本庄川(大淀川支流)が東西に流れ、豊かな自然環境を育んでいます。年平均気温は18度、平均降水量は2,569mm、日照時間は2,110時間と、温暖な気候に恵まれています。
隣接している自治体
- 宮崎市
- 西都市
- 東諸県郡:綾町
- 児湯郡:西米良村
主要な地名
- 旧本庄町:嵐田、須志田、竹田、田尻、本庄、宮王丸、向高、森永
- 旧木脇村:岩知野、木脇、三名、塚原
- 旧八代村:伊左生、深年、八代北俣、八代南俣
歴史
国富町には、古くから人々が暮らしていたことを物語る遺跡が数多く存在します。
古墳時代
本庄古墳群(本庄・須志田)に代表される古墳群が点在しており、当時の豪族の勢力を伺い知ることができます。
安土桃山時代
豊臣秀吉の九州征伐(1587年)では、弟の秀長が本庄の義門寺に陣を置いたとされています。
江戸時代
国富町域は、延岡藩飛地、天領(本庄地区)、高鍋藩飛地(木脇地区)、薩摩藩高岡外城(八代地区)に大別されていました。本庄が天領化されたのは1646年以降、遅くとも1688年と考えられています。
天領本庄の代表的な商家は和泉屋(日高家)でした。和泉屋は、農閑期に漉かせた和紙を製造しており、19世紀から20世紀前半にかけては国富町の主産業となりました。
近現代
- 1889年5月1日:町村制施行により、現在の町域にあたる東諸県郡本庄村・八代村・木脇村が発足。
- 1919年3月1日:本庄村が町制施行。本庄町となる。
- 1956年9月30日:本庄町と八代村が合併し、国富町が発足。
- 1957年3月31日:東諸県郡木脇村を編入。
- 1975年6月10日:町の木(カシ)と町の花(コスモス)を制定。
- 1981年5月8日:総人口が再び2万人を突破。
- 2001年1月29日:公式ウェブサイトを開設。
- 2001年3月31日:『国富町郷土史』を発刊。
行政
- 町長:中別府尚文(2016年12月3日 – )
- 町議会:議員定数13人
歴代町長
代 | 氏名 | 在任期間 |
---|---|---|
初代 | 篠原哲二 | 1956年10月28日 – 1960年10月27日 |
第2代 – 第3代 | 川越虎雄 | 1960年10月28日 – 1966年9月15日 |
第4代 | 村中田愛芳 | 1966年10月6日 – 1968年11月11日 |
第5代 – 第10代 | 高山義輝 | 1968年12月3日 – 1992年12月2日 |
第11代 – 第13代 | 上杉哲夫 | 1992年12月3日 – 2004年12月2日 |
第14代 – 第16代 | 河野利美 | 2005年12月3日 – 2016年12月2日 |
第17代 – 第18代 | 中別府尚文 | 2016年12月3日 – |
産業
国富町は、農業が中心産業です。葉タバコ・切り干し大根は全国1位を誇り、特産品として広く知られています。近年では、清流・本庄川を利用した先端産業の誘致も進められており、世界最大級のCIS系太陽電池工場などが立地しています。
主要産業
- 農業:葉タバコ、切り干し大根、野菜、果物など
- 製造業:太陽電池、食品加工など
- サービス業:小売業、飲食業、観光業など
地域
人口
2024年8月1日現在、国富町の人口は約17,635人です。人口密度は135人/km2と、宮崎県内では比較的低い数値です。
年 | 人口 |
---|---|
1970 | 19,037 |
1975 | 19,050 |
1980 | 19,864 |
1985 | 21,161 |
1990 | 21,339 |
1995 | 22,130 |
2000 | 22,367 |
2005 | 21,692 |
2010 | 20,909 |
2015 | 19,606 |
2020 | 18,398 |
2024 | 17,635 |
教育
国富町には、4つの小学校、3つの中学校、1つの高等学校が所在しています。
小学校
- 本庄小学校
- 森永小学校
- 八代小学校
- 木脇小学校
中学校
- 本庄中学校
- 八代中学校
- 木脇中学校
高等学校
- 宮崎県立本庄高等学校
交通
空港
- 最寄り空港は宮崎空港。自家用車で約40分。
鉄道
- 鉄道路線なし。最寄り鉄道駅は宮崎駅。
道路
高速道路
- E10 東九州自動車道
- 国富バスストップ
- 国富スマートインターチェンジ
県道
主要地方道
- 宮崎県道14号佐土原国富線
- 宮崎県道17号南俣宮崎線
- 宮崎県道24号高鍋高岡線
- 宮崎県道26号宮崎須木線
- 宮崎県道40号都農綾線
一般県道
- 宮崎県道351号木脇高岡線
- 宮崎県道355号旭村木脇線
- 宮崎県道356号法ヶ岳本庄線
- 宮崎県道361号綾法ヶ岳線
- 宮崎県道363号綾宮崎自転車道線
バス路線
- 宮崎交通:国富町を経由し宮崎市と綾町を結ぶ路線バスを運行。
- 国富町コミュニティバス:無料にて運行
- オンデマンド型乗り合いタクシー:令和3年10月1日より運行。登録制。
郵便局
- 北俣簡易郵便局
- 木脇郵便局
- 国富郵便局
- 三名簡易郵便局
- 十日町簡易郵便局
- 深年簡易郵便局
- 宮王丸簡易郵便局
- 六日町簡易郵便局
- 森永郵便局
- 八代郵便局
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
国富町には、豊かな自然と歴史を感じることができる観光スポットが数多く存在します。
名所・旧跡・観光スポット
- 本庄剣柄稲荷神社
- 本庄古墳群(国の史跡)
- 八代城跡
- 萬福寺:桃山式庭園、国の重要文化財に指定されている木造阿弥陀如来と両脇侍像など
- 義門寺
- 諏訪神社
- 森永化石群
- 不動の滝
- 本庄石仏
- 大坪の一本桜
- 法華嶽薬師寺:日本三大薬師の一つ、薩摩藩の三薬師の一つ
- 法華嶽公園:法華嶽薬師寺があり、展望台やキャンプ場、グラススキー場などがある
- 法華嶽公園グラススキー場
- 法華嶽公園キャンプ場
- 里山ガーデン 馬乗園:アジサイの名所
- 式部岳:国富町最高峰の山
- 掃部岳:アカガシ、モミ、ブナ、ヒメシャラの巨木で有名、ニホンカモシカの生息南限
- 釈迦ヶ岳
祭事・催事
- 本庄稲荷神社夏祭り(8月第一週):太鼓台を起源とする「ヨイマカ」が御神輿のお供を務める。
- 八幡宮大祭(8月)
- 諏訪神社大祭(8月)
- 国富町総合町民祭(9月)
- ホッケ・ストック ミュージックフェスティバル(10月)
- 全九州グラススキー大会(10月)
- 真冬のたなばた(12月)
- ダウンヒルシリーズ法華嶽大会(12月)
著名な出身者
- 足利ぼん(イタガキ)
- 川越慎也(元地方競馬騎手)
- 川越達也(シェフ)
- 杉尾宗紀(NHKアナウンサー)
- 鈴里真帆(シンガーソングライター)
- 松尾昭彦(ミュージシャン)
- ヒダカマコト(イラストレーター)
- せんぎりチャンネル(YouTuber)
- 二見颯一(演歌歌手)
脚注
- 三角点は西米良村・西都市境にある。
- 例外として、町村制以降の本庄町域では「嵐田・宮王丸」は高鍋藩領、「田尻・向高」は薩摩藩領であり、八代村域では「伊左生」が高鍋藩領であった。
- 『宮崎県史 通史編 近世 下』(2000年)では「諸説あり」として断定を避けている。
- 国富町出身のコンビ「せんぎり」が地元ネタを中心に動画で地域活性化を図るYouTubeチャンネル。チャンネル開設2019年9月。
- “せんぎりチャンネル – YouTube”. www.youtube.com. 2021年2月5日閲覧。
関連項目
- 宮崎都市圏
参考文献
- 国富町総務課『国富町勢要覧』 国富町、2006年。
- 国富町総務課『平成20年度 国富ものしり帳(町の概要・県内ランキング)』 国富町、2008年。
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 国富町商工会
- ウィキトラベルには、国富町に関する旅行ガイドがあります。
- 国富町に関連する地理データ – オープンストリートマップ
- 地図 – Google マップ
画像提供依頼:法華嶽公園の画像提供をお願いします。(2019年1月)
国富町についてのクイズ
国富町の中心部から東端にかけて占めている平野の名前は何ですか?
国富町は宮崎県の中央部に位置しており、特に中心部から東端部にかけて宮崎平野の一角を占めています。宮崎平野は美しい自然環境と豊かな農業地帯として知られており、温暖な気候が農業に適しているため、様々な作物が栽培されています。また、宮崎平野は九州の中央に広がる重要な地域で、交通や産業においても大きな役割を果たしています。国富町内では、宮崎平野の特性を活かした農業が盛んであり、特産品として知られる葉タバコや切り干し大根が生産されています。
江戸時代の国富町は、飛地としてどの藩に属していましたか?
江戸時代の国富町は、政治的な区分として延岡藩飛地、天領、そして高鍋藩飛地などに分かれていました。本庄地区は特に天領として知られ、この時期に商業が盛んになり、地域の経済にも影響を与えました。また、天領として発展したことから、商家の設立や産業が躍進したと考えられています。本庄地区の代表的な商家は和泉屋であり、農閑期には和紙の製造を行っていました。このように、江戸時代の国富町は複数の藩による影響を受け、独自の発展を遂げていったのです。
国富町の主要な特産品として知られているものは何ですか?
国富町は農業が中心産業であり、特に葉タバコと切り干し大根が全国で最高の生産量を誇る特産品として知られています。葉タバコは、農業の中でも特に重要な作物であり、国内外での需要も高く、国富町の経済を支える重要な要素です。その栽培技術においても高い評価を受けており、地元の農家たちは熟練の技術を駆使して生産しています。また、切り干し大根も地元特有の加工品として人気があり、地域の食文化においてもなくてはならない存在です。国富町の農業における特色と生産技術は、地域振興や観光にも大きな影響を与えています。
2024年8月1日現在の国富町の人口は約何人ですか?
2024年8月1日現在、国富町の人口は約17,635人であり、宮崎県内では比較的低い人口密度を示しています。人口は徐々に減少傾向にあり、1970年度の19,037人に比べると大きな減少が見られます。このような人口動態は、過疎化や少子高齢化が影響していると考えられています。人口が減る中でも、地域の活性化や若者の定住促進に向けた取り組みが重要となっており、様々な地域振興策が講じられています。国富町はその独自の自然環境や歴史文化を活かしつつ、今後どのようにして人口を維持・増加させていくのかが大きな課題とされています。
国富町の最寄りの空港はどこですか?
国富町の最寄り空港は宮崎空港で、地元住民や観光客にとって重要な交通アクセスの一部となっています。自家用車で約40分の距離に位置しており、宮崎空港は九州内での移動や他県との接続に便利な空港です。また、宮崎空港は国内外の便が充実しているため、出入りする多くの人々によって賑わっています。国富町から宮崎空港へのアクセスは、一般的な移動手段として利用されており、地域の経済活動や観光業にも寄与しています。空港利用者にとっても便利な立地です。