広島県安芸郡海田町:広島湾に面した街、歴史と発展を語る

広島県安芸郡海田町は、広島湾の東側に位置する、歴史と自然が調和する街です。人口は約3万人、広島県内では府中町に次いで人口の多い町でありながら、面積は小さく、広島市のベッドタウンとして発展してきました。今回は、そんな海田町の魅力を、歴史、地理、産業、交通、観光、そして出身有名人など様々な角度からご紹介します。

概要

海田町は、広島県の南西部、広島湾の東側に位置し、広島市、呉市、東広島市の間に位置する交通の要衝となっています。町内には陸上自衛隊海田市駐屯地や多くのマツダ関連工場があり、古くから人々が暮らし、発展してきた歴史を持ちます。面積は広島県の23市町の中で2番目に小さいものの、人口密度は高く、活気のある街です。

地理

海田町の地形は、南西部に標高500~600mの山々が連なり、北西に向かって尾根や丘陵地が広がる、山がちの地形です。町の真ん中を瀬野川が流れ、その周辺は平坦地や緩傾斜地となっています。瀬野川は、町の南部を流れ、広島湾に注いでいます。

歴史

海田町に人々が住み始めたのは、約1万年前とされ、海岸線は現在よりも内陸部にあったとされています。平安時代の終わりごろには「開田荘」という皇室領系の荘園として記録に登場し、南北朝時代には「海田荘」と呼ばれるようになりました。

中世には、瀬野川の日下橋付近が商業の中心地となり、「二日市」と呼ばれ、市場や港の機能を備えた戦略上重要な拠点となっていました。近世に入ると、瀬野川の土砂の堆積や海の干拓、埋め立てにより陸地化が進み、商業の中心地は「海田市」に移りました。

海田市は、広島藩の蔵入り地として整備され、西国街道の宿駅の一つとしても栄えていました。江戸時代には海田村と奥海田村があり、1889年(明治22年)に海田村が町制を施行して海田市町となり、1952年(昭和27年)に奥海田村が町制を施行して東海田町となりました。

1956年(昭和31年)に海田市町と東海田町が合併して現在の海田町が誕生しました。その後、広島市のベッドタウンとして開発が進み、人口が急増しました。

行政

海田町は、町長を首長とする町制を採用しています。現在の町長は竹野内啓佑氏で、2023年11月16日に就任しました。

町役場移転

海田町役場は、2023年9月19日に新庁舎に移転しました。新庁舎は、旧広島県海田庁舎跡地に建設されました。移転によって、旧庁舎、加藤会館(教育委員会)、保健センターの機能が集約されました。

産業

海田町の産業は、自動車関連工場を中心とした工業が盛んです。マツダ関連の工場が多く立地し、東洋シート、ヨシワ工業、ワイテック、黒石鉄工、キーレックスなど、多くの企業が本社を構えています。

工場

海田町には、マツダ関連の工場だけでなく、中四国宇部コンクリート工業海田工場、広島ガス海田基地、広島LPG物流センターなど、様々な工場があります。

交通

海田町は、広島都市圏東部地域の交通の要衝となっています。国道2号線と国道31号線、県道164号線が交差する大正交差点は、毎日のラッシュ時に渋滞が発生する場所として知られています。

鉄道路線

海田町には、JR西日本の山陽本線と呉線が乗り入れており、海田市駅があります。海田市駅は、広島市に所在する駅ではありませんが、広島市の特定都区市内駅に含まれています。

バス路線

芸陽バスと広電バスが、海田町と広島市、呉市、東広島市などを結ぶ路線バスを運行しています。また、町内循環コミュニティバス「ふれあいバス」も運行されています。

道路

海田町には、高速道路は通っていません。

一般国道

海田町には、国道2号と国道31号が通っています。国道2号は、新広島バイパスとして、海田町を東西に貫いています。

その他道路

海田町には、広島県道84号東海田広島線、広島県道85号下瀬野海田線など、多くの県道が通っています。

観光・祭事

海田町には、歴史的な建造物や自然豊かな公園など、多くの観光スポットがあります。

名所・旧跡

  • 千葉家書院・庭園
  • 西国街道海田市宿の街並み

観光スポット

  • 海田総合公園
  • 町営キャンプ場
  • ふるさと館
  • 中国自然歩道 絵下山・茶臼山ルート

祭事

  • 熊野神社夏越祭
  • 熊野神社秋季例大祭
  • かいた七夕さん
  • 海田市駐屯地夏祭り

出身有名人

海田町は、様々な分野で活躍する著名人を輩出しています。

  • 織田幹雄(陸上選手、アムステルダムオリンピック金メダリスト)
  • 秦逸三(科学者、帝人創業者)
  • 大井滋(実業家、JX金属社長)
  • 後原富(元プロ野球選手・広島県瀬戸内高等学校硬式野球部監督)
  • 大下剛史(野球解説者、元広島東洋カーププロ野球選手・コーチ)
  • 三村敏之(元広島東洋カープ選手・一軍監督・二軍監督・コーチ、東北楽天ゴールデンイーグルスチーム統括本部編成部部長)

まとめ

広島県安芸郡海田町は、歴史と自然が調和した街であり、広島市のベッドタウンとして発展してきました。自動車関連工場を中心とした工業が盛んで、交通の要衝としても重要な役割を担っています。海田町には、歴史的な建造物や自然豊かな公園など、多くの観光スポットがあります。また、様々な分野で活躍する著名人を輩出しています。

海田町は、広島湾に面した、活気のある魅力的な街です。

海田町についてのクイズ

海田町の面積は広島県の市町の中で何番目に小さいですか?

海田町は広島県23市町の中で2番目に小さい面積を持っています。この小さな面積の中に約3万人の人口が住んでおり、非常に高い人口密度を誇ります。海田町は広島市、呉市、東広島市といった他の都市に囲まれており、それに伴いベッドタウンとして多くの住民が移住してきました。広島湾に面し、交通の要衝でもあるため、周辺の都市へのアクセスが良いという利点もあります。狭い面積ながら、人々の生活や産業が密接に結びついていることが、海田町の特長となっており、活気のある街づくりに寄与しています。町内にはマツダ関連の工業も多く、経済の発展とも結びついています。

海田町の中心を流れている川の名前は何ですか?

海田町の真ん中を流れているのは瀬野川です。この川は町の南部を流れ、最終的には広島湾に注ぎ込んでいます。瀬野川は歴史的にも重要な役割を果たしており、中世には周辺地域の商業の中心となりました。そのため、川沿いには商業活動が活発に行われており、地元の発展に寄与してきました。川の周辺には平坦地や緩傾斜地が広がり、住民たちが暮らしやすい環境が形成されています。現在でも風光明媚な自然環境を持ち、観光やレクリエーションの場としても親しまれています。

海田町が町制を施行した最初の年は何年ですか?

海田町が町制を施行したのは1889年(明治22年)のことです。この年に海田村が町に昇格し、海田市町となりました。その後、1952年(昭和27年)に隣接する奥海田村が町制を施行し東海田町となり、最終的に1956年(昭和31年)に海田市町と東海田町が合併して現在の海田町が誕生しました。このように、海田町は長い歴史の中で少しずつ自治体としての形を整えてきました。合併により、より広範な地域を管轄することが可能になり、行政サービスの充実が図られています。

海田町には何という祭事が行われますか?

海田町では熊野神社秋季例大祭という重要な祭事が行われます。この祭りは地域の伝統と文化を色濃く反映しており、多くの住民が参加します。秋に行われるこの祭りは、地域住民の交流や絆を深める場ともなっています。祭りでは神輿が担がれ、地域の人々が集まり、さまざまなイベントが行われます。地元の特産品が振る舞われ、人々が一同に会する機会でもあります。地域の小さな祭りでも、歴史的背景やコミュニティの重要性が強く根付いており、子供たちにも大切に受け継がれていきます。